承認欲と知られたくない欲の狭間で
反応のポジティブネガティブに関係なく、
自分の主張には耳を傾けてほしいのが人情だが、
余りにAccessibleな媒体に主張を書くと実生活で実害が生じるかもしれない(実生活では極めて自制的に生きているので、素の適当な&急に思考が英語になったりする姿は恥ずかしい)
最近、週1ペースで映画鑑賞&1冊読破しているのだが、
今日は「ディベーター~栄光の教室~」という映画を観た(主演:デンゼル・ワシントン/予告編は下記)
記憶に残ったフレーズは以下。
自己主張の国アメリカで、どの様にディベートが教えられて、
考えるべきなのかが詰まっている。
「審判は? 審判は神。
なぜ? 勝負は審判が決めるから。
敵は? 存在しない。
なぜ存在しない? 私の言葉は真実だから。」
主張は論理的に正しいだけでなく、
第三者に評価される演説でなければならない。
そして発言者は関係なく、主張の中身が真実でなければならない。
ヨーロッパは詳しくないが、少なくともアメリカでは
日本よりも”誰が”よりも”何を言ったか”がより意味を持つ(年上だから、上席だから意見の正当性が増す訳では全くない)
相手の主張に応じた応酬が出来るだけでなく、
あなたの主張を聞いている周りの人も納得する答弁が出来れば、
あなたは優秀なディベーターと言えるだろう。
TK